JEAN-MARIE REYNIER

ARTIST’S TEXT · 2026

なぜ「幽霊のために部屋をつくる」のか?

私は十五歳のとき、フランセス・A・イェイツの『L’arte della memoria』をイタリア語で読んだ。その読書体験は私を根底から揺さぶった。記憶は建築のように組み立てることができ、ひとつの場所として歩き巡ることができ、その内部にイメージを住まわせることができる。私はそう知った。それ以来、この考え方は、私が写真を思考する方法に寄り添い続けている。『恐怖を考える』は私の仕事全体を包む大きな系譜であり、それをひとつに結ぶ建築である。私のすべてのシリーズは、ひとつの宮殿のなかにあるいくつもの部屋のように、その内部に位置を得る。そこを貫く恐怖は、消去されることへの恐怖だ。人が消えること、場所が失われること、記憶が摩耗すること、家族の物語が忘れられること、そして一つ一つの固有の歴史が、大きな「歴史」の流れの下に埋められてしまうことへの恐怖である。

今日「記憶の宮殿」と呼ばれるものは、古代の ars memoriae に属している。私たちは主として『Rhetorica ad Herennium』、キケロ、クインティリアヌスを通じてその方法を知る。この術は、loci と呼ばれる場所と imagines と呼ばれるイメージの結びつきに基づいていた。弁論家は現実の、または想像上の住居を心に描く。玄関、広間、通路、部屋を頭のなかに定め、それぞれの場所に、演説の一部に対応するイメージを置く。話す時が来ると、彼はこの内なる建築を歩いていく。場所が思考の順序を保ち、イメージがその内容を呼び戻す。キケロは場所を蝋板に、イメージをそこに刻まれる文字にたとえた。こうして場所は、イメージによって書かれる一つの文章の支持体となる。『Rhetorica ad Herennium』の著者は、imagines agentes、すなわち能動的なイメージをつくるよう勧める。それらは特異で、強い感情を帯び、記憶の奥深くに刻み込まれる力をもつ。ここで『恐怖を考える』は、古代の記憶術と直接に出会う。恐怖には、このように刻み込む力がある。あるイメージが私たちの内に残り続けるのは、それが意識の深い領域にまで届いたからだ。私の仕事では、頭蓋骨、家、身体、風景、物が、そのような能動的なイメージとして働く。それらは、死の意識、愛着、避難所、脅威、消失、保存への欲望を凝縮する。意味は流動し続ける。それぞれの象徴は複数の物語へと開かれ、遠く隔たった経験をひとつのイメージのなかで出会わせる。象徴はまた、自律性によって私たちを不安にさせる。象徴はそれを生み出した人々より長く生き、その来歴が失われた後も作用し続ける。

語彙は哲学の伝統とともに変化する。ラテン語の修辞学の文献は imagines と simulacra について語る。アリストテレスにおいて、そして後の中世思想において、心的イメージは phantasma となり、その複数形は phantasmata である。この語は、知覚されたものが想像力のなかに保持する形、そしてその形を通して思考に現前し続けるものを指す。トマス・アクィナスは、人間の知性は phantasmata へと向かうことによって思考すると述べている。この言語的系譜は、私の作品の題名に直接関わる。原題の中心にあるフランス語 fantôme は、ラテン語 phantasma に由来し、さらにその語はギリシア語 phántasma に遡る。意味するのは、イメージ、出現、幻影、亡霊である。この連続性のなかで、記憶の部屋に置かれたイメージは phantasmata と考えることができる。遠ざかったもの、消え去ったもの、触れることのできないものを現在へと呼び戻す、心のなかの出現である。

記憶術の起源を語る物語は、この関係をさらに深める。キケロとクインティリアヌスは、その発明をギリシアの詩人、ケオスのシモニデスに帰している。シモニデスはスコパスのために勝利を讃える頌歌を作り、そのなかでカストルとポルックスをも称えた。その賛辞に腹を立てたスコパスは約束した報酬の半分しか払わず、残りは二柱の神に請求せよと言った。宴の最中、召使いが、二人の若者が外でシモニデスを待っていると告げた。彼は外に出たが、そこには誰もいなかった。背後で宴会場が崩れ、客たちは瓦礫の下に埋まった。謎の訪問者はカストルとポルックスだったと理解された。二柱の神は彼の命を救うことで、自分たちの借りを返したのだ。遺体は判別できないほど損なわれていた。それでもシモニデスは、食卓を囲んでいた一人一人の位置を思い出すことによって、死者それぞれにその身元を返すことができた。記憶術はその起源の物語において、災厄と、破壊された建築と、死者に身元を返す必要から生まれる。記憶は、消えた空間を心のなかに再建し、不在となった一人一人が再び場所を得られるようにする。破壊によって読めなくなった名、身体、生を、再び「歴史」のなかへと導き入れる。

部屋はまた、写真という媒体の物質的な歴史にも属している。ラテン語 camera は、丸天井をもつ部屋を意味する。camera obscura、すなわち暗い部屋は、写真装置の起源にある。写真は文字どおり、光がイメージを形づくる一つの部屋のなかで生まれる。この語はまた、ロラン・バルトのフランス語の題名『La Chambre claire』、日本語では『明るい部屋』と訳された書名、そして彼の「それは=かつて=あった」と響き合う。それは、写真に現れるものが実際にレンズの前に存在したという確信である。すべての写真は、時間によって不在へと変えられる現前の痕跡を保存する。幽霊とは、現在を奪われた現前であり、自らの文脈を完全には取り戻せないまま帰ってくる形である。その出現は、残っているものと消えたものの境界を揺らす。幽霊への恐怖はここで、彼らを見分け、名を与え、何を思い出させるために戻ってきたのかを理解させる記憶を失う恐怖と結びつく。

『恐怖を考える』とは、この不安に形と建築と言語を与えることだ。写真は、散逸しようとするものに秩序をもたらすことを可能にする。それぞれのイメージは、顔、身体、家、恐怖、愛着を置くための locus となる。それぞれのシリーズが新しい部屋を開く。それぞれの部屋が不在に住所を与え、その帰還の可能性を守る。

これらの宮殿に近づくことは、断片という尺度において「歴史」に打ち勝とうとすることである。それは、見られたもの、愛されたもの、住まわれたもの、恐れられたもののために場所を保つことである。『恐怖を考える』はこの宮殿の名である。『幽霊のために部屋をつくる』は、その身振りに名を与える。

私にとって写真を撮ることは、幽霊たちのあいだに秩序をもたらすことである。

主な参考文献: フランセス・A・イェイツ『The Art of Memory』、アルバーノ・ビオンディによるイタリア語訳『L’arte della memoria』、Einaudi;『Rhetorica ad Herennium』第3巻;キケロ『De Oratore』第2巻;クインティリアヌス『Institutio Oratoria』第11巻;アリストテレス『魂について』『記憶と想起について』;トマス・アクィナス『神学大全』第1部、第84問、第7項;ロラン・バルト『明るい部屋。写真についての覚書』。